今回は私自身のお金に対する考え方について書いていこうと思います。
私は今現在、節約してお金を浮かせては投資に回しております。というのも、やはり会社や業界が斜陽ということもあり、一義的には失業への恐怖というのがあります。
私の勤務先は本業不振による売上減少に伴い、人員削減並びに業務縮小が現在進行形でなされている状態です。一般論として、物流子会社の利益は親会社の損失ですし、単に倉庫に荷物を置いておくだけなら当然人は要らないので仕方ない側面もありますが…
失業したら収入が途絶え、当然のことですが生活が成り立たなくなってしまいます。また、投資は私自身にとっては、仕事をしていて辛い時の精神的支柱としての役割という側面もあります。本人が会社で働いてくたくたに疲弊しているその一方で、当人が保有している世界に冠たる米国企業が、代わりに稼いできてくれるみたいなイメージでしょうか。
お金に全力を傾けるという意味においては学生時代がピークだったと思います。特に一浪してしまったことの焦りと学費の工面という恐怖があり、あの時は、本当に時間さえあればバイトのシフトをいれ、数駅分は定期を買わずに歩いて通学し、学内での昼食は一切食べず、一円単位の節約に取り組んでました。また、マネー系の本や雑誌を大量に読みあさりました。結果として、お金への不安が強烈な原動力となり、豊富に節約や金融商品や経済の知識もつきましたし、留年もせず、奨学金のような債務を抱える事もなく卒業することはできましたが、やはりそんな学生生活で良かったのだろうかと、ふと思う時はあります。どんなにお金をつんでも失った時間は取り戻せません。
質素な生活を続けていて、死後資産を確認してみたら、時価で数億円分の株式を保有していたというニュースをたまに聴きますが、果たしてそんな人生で楽しかったのかな?と私は思ってしまいます。
もちろん、確認できないので分かりませんが、それで本人が楽しいと思える人生だったのなら最高だと思います。しかし、かつての自分がそうだったように、ケチケチ節約して精神的に疲弊するだけの一生では、少なくとも今現在の私自身のように後悔するだろうなと思います。つい最近までは一円からでも無駄をなくそうとしてました。しかしながら、数日前、数百円の価格差の為に自転車で遠くに買い物に出かけてトレーラーに引かれかけてしまったこともあり、考えを改めつつあります。無駄使いを無くすことは確かに大事ですが、最終的に無駄を無くすことを突き詰めると一番の無駄は自分自身の存在ということになってしまいます。究極の節約術は生きるのをやめることですからね。これでは何のために生きているのか分かりません。本末転倒でしょう。
そうは言っても、現実的には、私の能力的に考えても人的資本から稼げる額はもう頭打ちかなという思いはあります。その為何でも好きなようにお金を使っていたら、確実に家計が破綻してしまいます。
だからこそ、限られた収入と時間の中で、効率的に節約/投資しながらも、自分が人生の中で大きくウェイトを置きたいと思う分野にリソースを投下していければ十分だと考えています。
一般論とか他人の意見云々ではなく、自分が本当に価値があると思うものにお金を使っていけばよいのです。