夜中にうなされて起きてしまって適当に作成した文章です
せっかくなので公開しますけどあんまり意味はありません
私にとって投資ブログというのは、失敗を他人に公開する行為以外の何者でもなかった。
ましてやポートフォリオや新規追加銘柄を記録するというのは、その失敗をさらに回復不可能にする行為であった。
買った銘柄を公開した後の下落。
売った銘柄を公開した後の上昇。
そのことで、私は自分を何度呪っただろうか。
ブログを書かなければ他人の目を気にする必要もなくなる。
私がただ保有しているだけで、その銘柄を買うために費やした会社での人生が消えていく。
私自身もよく後悔したが自分が含み損を抱えるよりも自分がきっかけで他人様に含み損を抱えさせてしまう事が何より辛かった。
しかしマーケットが私に苦痛を与えるために下げていたわけでないことは、マーケットが上へ向おうとする時に、その恩恵も自分の方に向いてくれたからよくわかる。
ただ、そういう厳しい局面で育った「投資家」たちは、意外に少ないのではないか。
投資家になることを試みたうちの少なからぬ面々が、「投資したくても出来ない」のではなく、「含み損が恐い」のではないのだろうか。
残念ながらそれがどれほどの割合なのかはわからないが、各国の株式市場参加率と金融資産平均を見ると、「投資の失敗率」そのものはそれほど差はないのではないかと私は憶測している。
何をもって投資の失敗と成功を分けるかは議論の余地があるだろうが、傍らから見て「このポートフォリオはまずい」と判断される例は、少なく見積もっても1/3、下手すると1/2ぐらいにはなるのではないか。
もちろん投資する前から既にお金の痛みを散々味わっている人だっていても決しておかしくない。
だから、あえて言う。
そういうあなただからこそ、投資していないうちからお金の痛みを知るあなただからこそ、よき投資家となりうるのだ、ということを。
痛みを知るからこそ、やみくもに金を捨てることは避けるだろうし、仮に投資をやめるようなことがあっても、円滑にお金の魔力から離れることができるであろうことを。
個別株による分散投資というのは、値上がりや配当というリターンを分かち合うことではない。
それならETFで充分だ。
個別株を保有するとは、不運、不祥事、事故というリスクを分かちあうことなのだ。
だからこそ、その時代の構成銘柄の影響を受けながらもダウ平均は上昇してきたし、ダウ平均に学ぶなら30以上の銘柄数が必要なのである。
さすれば、個別株投資はリターンを求める者より、リスクを知る者の方が適任ではないのか。
私にとってのAMZNが、あるいはAMZNにとっての弊ファンドが、それぞれにとって最適の伴侶であるかどうかは正直わからない。
わからないが、それぞれがそれぞれの生まれた時代の流れの中で出会った事は間違いない。
ただ、それをあえて受け止めることは、それこそが連綿と続いていくマーケットの中でこれが共に生きるということではないだろうか。
「個別株投資はインデックスに対して負けだと思っている」、そんなあなたに申し上げる。