今回は学歴について考えてみました。まあ学歴というのは世間ではいつでも話題になりやすいネタですよね。



まず、私の学歴は大卒(法学士)です。
大卒は学士様なんて時代は遥か昔ですし…大学の知名度的には大抵の人は聞いたことがある大学なのでしょうが、第一志望ではありませんし、別に行きたくて行った訳ではないので、母校愛なんてものは全くないどころか、文科省の補助金漬けのくせに散々バカ高い学費支払わされたので強い憎しみしか感じませんけども。




ガルパンでは文科省の役人は悪役として大洗女子学園を廃校にしようとしますが、現実ではどんどん大学なんてぶっ潰せばいいと思っています。人口だって減っていくんですし。理系はともかく、特に文系なんてまさにあんなものの中身は幼稚園児の大学ごっこに過ぎませんからね。まあ天下り先が無くなるからそんなことしないでしょうけども。納税者はもっと怒るべきでしょう。




話が逸れましたね。さて本題に入ります。残念ながら、私の身内には大卒はおりませんし、大学がどういうところでとかいうのは身近な人から聞いたことはありませんでしたが、卒業して数年経って個人的に思うのは、学歴の一番の効用というのはシグナリング効果だなと痛切に思います。ないものを証明するのは悪魔の証明ですが、まあ私の出た大学を出てフォークリフトを運転している人間なんてほとんどいないと思います。理系学部はちょっとわかりませんけど、ホワイトカラーが大半でしょうから。



私は見た目的にはまるで冴えないほうなので、むしろ学歴を言うと驚かれますし、なんでこんな仕事してるの!?とあからさまに実際に何度も言われたことがあります。元請けの社員なのにこないだいつもと違うフロアに行ったら新人だと思われて業者のバイトに怒鳴られたくらいですからね。凹みましたけど、見た目で判断されると所詮そんなものなのでしょう。



だから何故か嫌々仕事している様に思われていることがあるのですが、今までやった事のあるお仕事に比べると自分の中では圧倒的にこちらの方がいいんですよね。勿論つらい事ばかりですし、相対的にはという意味においてです。別に会社やお仕事が大好きだからという訳ではありません。



私は発達障害の傾向がありますし、変な振る舞いをしてしまったり、うまく話せなかったりと業務遂行能力も低いのですけれども、辛うじてではありますが、許されてもらえてるのは学歴のおかげだなとは思います。これは確実に言えますね。



中身の人間は一緒なのに、学生時代のバイトの時の超高圧的な社員に大学名を言ったり、職務質問を受けた時に学生証を見せた時に、一気に態度が変わったのを思い返すと、学歴の効用とはつくづくシグナリング効果なのだなと思います。



なので、自分に自信がない人ほど、勉強して良い学歴を得ておくというのはそれほど悪くない選択なのかもしれませんね。まあ一種の保険の様なものでしょうか。もっともその為にかかる膨大な費用を考えるとどこまでコスパがいいのか微妙な感じもしますけれども…レバレッジ(奨学金)をかけてまでする価値があるかどうかはその人次第なんでしょうけど、損益分岐点がその分上がってしまうので回収が本当に大変だと思います。なんとか奨学金を借りなくて済んだ自分でさえもこの有様ですからね。節約はもちろん大事だと思いますが、さすがにもうあの頃のような節約&バイト生活は2度としたくありませんから。まあそのおかげで節約と投資の知識はつきましたけどね。